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見てくれた人に何か考えてもらえたら。
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誇りがある人。

誇りがない人。

誇れるモノがあるかないか。

何も難しいことじゃない。

自分が今まで何か続けてきたものがあれば、それはほとんど誇れるモノだろう。

誇れるモノって言われると一度考え込み、何か大きなモノを探そうとする。

でも、どんなに小さいことでも誇れるモノを見つけれるというとこが重要なんだ。

折角、いろんなことが出来る、やれる世の中なんだ。

何かしら見つけることが大切だ。

そこに何も現実を求める必要もない。

他の人がああだから、自分もそれぐらい誇れるモノがないと。

そんなことを思う必要は何もない。

誇りはどんなことでも一つあるだけで生き方は変わる。

その誇りがあるから胸を張って生きていける。

言葉だけでは重く受け取られそうだが、実際は軽い。

誇りってのは何も威張るための道具じゃない。

自分の中に留めておくだけでもいいんだ。

持っているからこそ、自分の行動に自信が持てる。

誇りは自分が真っ直ぐ立って、歩くために必要なモノなんだ。

ただ歩くためだけにそんな重いものは持てない。

自分に合った誇りは何なのか。

簡単でいいんだ。

何か持って歩いていこう。
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人は誰しもが神頼みに生きている。

運を天に任せて、流れに身を任せる。

そんなことばかりを続ける。

願えば叶うと思っている人ばかりだ。

もしも叶わなくても人は決して神の所為にはしない。

誰もそこまで神を信じていないからだ。

何で神頼みをするのか。

それは少しでもその願いを叶えたいから。

もしくは少しでもその願いを楽に叶えたいから。

その思惑があるからだろう。

願ったら願いっぱなし、そのままにして何れ願い事をしたことも忘れる。

願い事なんて、その時の一瞬の思いだ。

常に同じ願い事をしている人は、気付くべきだ。

それは願うだけではどうしようもないことだと。

願い事なんて、明日は遠足だから晴れてほしい。

明日は何かラッキーなことがありますようにぐらいだ。

それ以上を神頼みしたって結果はついてこない。

他のことなんて大抵自分の努力しだいだ。

神にも縋る思いってのは、自分に自信のない人だけがすることだ。

自分の努力に自信を持てば、神に頼る必要もないだろう。

神に力なんてないんだ。

力があるのは自然と自分だけだ。
人は甘える。

人は自分には甘い。

人は他人には甘くしてほしい。

人は他人には厳しい。

自分に厳しく出来るってことは、その甘えが少ないってこと。

自分に甘い人は成功しない。

自分に厳しく出来ない人は成功しない。

自分に甘い人は自分のことが大好きだ。

それは悪いことなのか。
自分のことが大好きで何が悪い。

自分に甘くして何が悪い。

それは最早本能とも言えるものである。

本能と言えば、聞こえが良くなるのは事実。

でも、それだけのことは言える。

何かを続けている時、辛くなって辞める。

すぐに何かを断念する。

何も続かない。

自分でやると決めたことがなかなか続かない。

何でって、辛い気持ちを味わいたくないからだ。

それが全てだ。

自分が一番かわいいんだ。

自分に一番関心がない人は、何をやっているんだ。

まずは自分だろ。

他人なんて二の次だろう。

自分に甘く、他人に厳しく。

何も悪くない。

それが悪いとするその雰囲気こそが一番悪い。

表では自分に厳しく見せていても、そういう人ほど見えていないとこでは自分に甘い。

まずは自分を一番に思え。

自分の良さを最大限に活かす方法を見つける。

辛かったらやめてしまえばいい。

それでもやりたいと思ったことだけやればいい。

本当に好きなことは、どんなに辛くてもやめれない。

自分の本性を見抜け。

まずはそこからだ。

都合の良いことはする。

都合の悪いことはしない。

都合の良いことは喋る。

都合の悪いことは喋らない。

人は自分の都合の良いように物事を解釈する。

人が何かを決める時、一番重要なのは都合だ。

人は9割の都合と1割の馴れ合いで動く。

こう聞くと、都合ってのは悪く思われがちだ。

でも、所詮世の中は都合よく動いている。

都合よく動くのは普通なんだ。

誰も自分の都合の悪いことはしたくない。

当たり前だ。

そんなことはしなくていいんだから。

自分の都合の良いように動くのは、人が考える能力を持っているから。

自分の頭で考えた都合なら、それに従って動くのがいいだろう。

それで起きた失敗や成功は納得できるだろう。

他人の都合に動かされた失敗や成功ほど虚しいものはない。

道を外した都合じゃない限り、その都合は肯定される。

そこを勘違いすると、人の道を外す。

自分の都合で吊り橋を壊さないようにしよう。

そうすれば、吊り橋の向こうに辿り着く。

その先を見るか、吊り橋の上から落ちるか。

自分の都合で決めればいい。



何事にも身が入らないような状態。

何かやっても、何の生産性もないような感じで、時間を無駄にしてしまった。

どんな人にもそういう時はやってくる。

どんなに生真面目な人でも。

むしろ、そういう人の方が一度虚しさを味わった時の反動は大きい。

自分は今までの時間何をしていたんだろう。

その自問自答の繰り返し。

一度そこにハマるとなかなか抜け出せない。

じゃあどうやればその虚しさから抜け出せるか。

簡単なことだ。

現実を受け入れろ。

それができれば、虚しさなんて感じない。

でも、人はそんなに出来が良いわけじゃない。

どうしても自分の理想を掲げ、それが当然だと考える。

それ故に人はその反動を受ける。

目の前にあるものを見ろ。

それから自分が楽しいと思えることをしろ。

それができれば虚しさなんてなくなる。
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