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見てくれた人に何か考えてもらえたら。
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やりたくないことがある。

その度合いはどれくらいか。

どちらかと言えばやりたくない。

やれって言われたらやるけど、自分からはやりたくない。

普通にやりたくない。

絶対にやりたくない。

どうしてもそのことだけはやりたくない。

やりたくないって思う気持ちは、人ならばほぼ毎日何かしらのことで思う。

出来ることなら家事もしたくない。

出来ることなら仕事もしたくない。

出来ることなら動きたくない。

そんなことばかり人は言う。

確かに楽に越したことはないだろう。

でも、やりたくないこともやらないと自分の人生は回っていかない。

やりたくないって思うことも、自分の為に必要なことだと思えるような考えかた。

仕事をしている自分が格好いいだとか、そういう感じのことでいいんだ。

やりたくないことを無理にやろうとすると、人は壊れてしまう。

昔はやりたくなかったことも、どこか考え方を変えて普通ぐらいに持っていけば、

人は壊れずに生きていける。

やりたくないことに対して自分を追いつめているのは自分だ。

誰も何も追いつめては来ていない。

自分との対話しだいだ。
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何かに行き詰った時、ヒントが欲しくなる。

自分じゃどうしようもない時。

行き詰って自分の力じゃどうしようもない。

そういう時にヒントがあると助かる。

問題を解くために用意された手掛かり。

大人が子どもに出来ることって、そういうことだと思う。

答えを教えるだけでは、人は成長しない。

そんなことは多くの人が気付いている。

だから、少しのヒントを与え、残りは自分で考えて解かせる。

そういうものを用意できるのは大人しかいない。

今まで経験してきたことを問題を解く手掛かりとして残す。

子どもが行き詰っている時、助けれるのは大人しかいない。

その助けが必要かどうかは、大人の経験次第だ。

ヒントを残して子どもを導くのが大人の存在意義だ。

ヒントを見つけるのも大人の役目だ。

大人は役割が多い。

それは全て未来ある子どもの為だ。
生まれ変わるなら何になりたいですか。

生まれ変わったら、あの職業に就きたい。

生まれ変わったら、違う人と付き合いたい。

生まれ変わったら、子どもの時から勉強したい。

生まれ変わったら、違うスポーツも経験したい。

生まれ変わったらの話をするのは嫌いじゃない。

本当はそういうことがしたいんだなと思える。

昔は気付かなかったけど、今ならあの時の選択を変えれる。

そして、より良い方向に行けたと思う。

だから、生まれ変わったらその選択が出来ると信じたい。

人は後悔するほどそういう選択のミスを思い浮かべ対応を変えたがる。

生まれ変わるなんてことは出来ない。

それはほとんどの人が分かってる。

でも、そういう夢物語が人は好きなんだ。

間違っちゃいない。

そんなことを考えずに今変わればいいんだって言う人もいるだろう。

確かにそうなのかもしれない。

変われるなら、生まれ変わることをする前にやればいいだけの話なんだ。

でも、人ってのはそう簡単に変われるものじゃない。

それを知ってても理想を追い求め変わろうとするか。

それを知ってても理想は理想のままで諦めて夢見るか。

変われる人ってのはきっかけがどうしても必要だ。

変わろうと思うなら今だ。

それしか言えない。

でも、それで変われない人はどんなきっかけが来ても変われない。

その瞬間を見極めて、今だとそこに飛び込む勢いが必要だ。
一度目の失敗は誰でも許してくれる。

許してくれない人はもうどうしようもない。

諦めてその人のことはほっておこう。

勿論失敗のあれにもよるけど。

大抵の人は一度失敗したら学習する。

その学習を活かして、次は失敗しないようにする。

それは昔から言われていて、誰でもそう聞いてきただろう。

失敗は成功のもと。

成功するまでには幾多の失敗がある。

その積み重ねが成功につながる。

何ていい言葉なんだろう。

確かにそう思う。

でも、反対にこういう考え方もある。

一度の失敗はいい。

その後も同じことで失敗するのは学習してないからじゃないか。

何回も同じ失敗ってのは酷く嫌われる。

七転び八起って言葉がある。

何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。

こういう風な意味だと思うが、これはとても夢のある言葉である。

努力している人はこういう言葉が大好きだ。

でも、ひねくれ者が考えると七回も転ぶような人は何回転んでも変わらないという考え方。

七回も転ぶ前に何が原因で転んでいるのか考えないことには、永遠に転んだまんまだ。

一度失敗したら、次はもう失敗しないように死力を尽くして気付こうとしなければならない。

強い言い方をすればそれぐらいな意識で。

でも、そこまでしている人はいないだろう。

それでも失敗して、次があるからと何もその場で考えない人はどうかなとは思う。

学ぶための失敗か、時間が過ぎただけの失敗なのか。

同じ失敗でも意味合いは変わってくる。

そんなひねくれ者の考え方。
人は人と比較したがる。

人に限らず、何でも人は比較したがる。

比較がしたいってことは、より良い方を見つける為だ。

人は進化する為に、何でも比較して上を目指す。

他にも比較する時が人にはある。

自分より劣っているか、劣っていないか見る時だ。

人は自分より劣っている人を探す。

少しでも自分より下を見つけて優越感に浸りたいからだ。

でも、本当はそんな人は今はあまりいないのかもしれない。

信じたいところだ。

でも、人はそれぐらい自分勝手に比較して人を見下す。

比較するのは大いに勝手なことだが、それで人の優劣はつけられない。

テストの結果で、テストで点数を多く取れる子とあまり多くは取れない子。

マラソン大会で、早くゴールする子と遅くてもゴールする人。

そんなんで優劣はつけれない。

確かにその競技や結果の中では優劣はつくのかもしれない。

でも、その優劣は大抵意味がない。

その優劣は自分との比較だ。

前回と比べてどうだったのか。

その一転のみ。

他の人を目標にして取り組むってことは意欲が出て良いことだが、

結果を比較するのはまた別の話だ。

比較する対象を間違えると人は落ちるところまで落ちてしまう。
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