隣にいる人が怖がっていると、自分も徐々に怖くなってくる。
隣にいる人がやる気なければ、自分もやる気がなくなる。
隣にいる人が楽しんでいると、自分も楽しくなってくる。
隣にいる人が何かを助けようとすると、自分も助けたくなる。
隣にいる人が勇気を持って行動していると、自分も勇気を持って行動できる。
つまり、伝染する。
だから、なるべく隣の人に弱さは見せてはいけない。
隣の人だけならまだ大丈夫だろ。
何て考えは良くない。
その隣の人にも伝染してしまうかもしれないからだ。
更にその隣へ、、、。
勇気や助けようという気持ちの伝染はいい。
ただ、それ以外の伝染は良くないのは明らか。
だったら、常にプラス思考で動いた方がいい。
ちょっと意識を変えて動いてみる。
その気持ちの伝染が良い方向へ進むように。
伝染は止められない。やがて洪水となって。
その疑問が出てきた時、まず人が何をするか。
検索してみる。
これだけネットが便利になった時代に、答えが出ない疑問はなかなかない。
それでも、人は疑問を作る。
答えがネットにも載ってない疑問を作る。
自分が何者なのか、自分には何が出来るのか。
そんなモノはネットを検索しても出てこない。
でも、そんなモノはちょっと格好つけて言ってるだけ。
どんなに頑張ってもそれを見つけるというのは不可能に近い。
疑問を持つことは悪いことではない。
疑問持つと、そこから探求心が生まれる。
ただ、そういった探求心が生まれるモノと自分に関する疑問は違う。
自分に関する疑問は自分が分からなければ、誰にも分からない。
だから、そんな疑問が生まれたら、もう自分を信じるしかない。
もう信じるしかない。
難しい考えを持つことも大して必要ない。
自分を疑わず、信じてみよう。
自分の得意なこやり方。
なんだっていい。
このやり方が得意だってモノ。
それが他の人とは違うやり方でも。
得意なモノが見つからない訳はない。
得意なモノって言われると、他の人と比較して勝っているモノを探す。
でも、得意なモノってのはそういうことじゃない。
自分が今までやってきたモノのほとんどが得意なモノになりえる。
というよりは、それは既に得意なモノになっている。
それに気付けるかどうか。
得意なモノも得意なやり方も何かしらある。
何か生きていてやってきていれば、自分のやり方ってのが出てくる。
それが自分の得意なやり方だって気付けるかどうか。
気付いたら後はどうにでもなる。
結局は、自分の得意なモノ、得意なやり方で壁にぶつかっていくしかない。
伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』にも書いてある。
『人はいつだって、得意なやり方で、世の中とぶつかっていくほかない。』
そういうこと。
自分の得意なことに気付く。
まずはそれから。
そこからぶつかっていく。
何が一番辛いか。
人間関係に関する問題。
合う人、合わない人ってのは、人間誰しもいる。
合う人なら、何も問題なく関係を進めていける。
問題は、合わない人とどうするか。
合わなくても、関係を崩してはならない人もいる。
仕事上の上司や、先輩、取引先相手など。
分かり合おうと最初は努力するかもしれない。
それでも、合わない人とは頑張っても分かり合えない。
そうなると、お互いに辛くなってくる。
分かり合おうとすることは人として大切なことなのは確か。
でも、無理する必要はない。
じゃあそういう時はどうするか。
相容れないもの同士なんだと認めてしまえばいい。
認めてしまえば、合わないなと思ったときに、相容れないもの同士だからと。
その方が、気持ちは楽になる。
無理に合わせようとしても、気が滅入るだけだから。
楽に考えて、人と付き合っていく。
楽に。