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見てくれた人に何か考えてもらえたら。
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人は上辺だけで人と接することが出来る。

人はあまり仲良くない人とも友達のふりを出来る。

人は本当は苦手な人にも愛想笑いぐらい出来る。

人は人に合わせることが出来る。

そういうふりが出来る。

人が一番得意なのは愛想笑いだ。

上司の言葉に愛想笑いする人、取引先の人に対して愛想笑いが出来る人。

そういう本当は笑えない状況でも、人は取り繕って笑うことが出来る。

その人の本性はなかなか見えない。

見せているふりをしているだけのことの方が多い。

上辺だけの付き合いってのが重要なほどに、人は人との接し方に神経質だ。

少しでも機嫌を取ろうと躍起になって取り繕う。

出来るふりをして、内心ドキドキの人もいる。

人は自分の周りに取り繕った空気を出す。

周りの視線を気にして、一生懸命良い人のふりを務める。

取り繕わずに接せる人があなたの周りに何人いますか。

その人の大事さは月日が経つにつれて分かってくる。

より多くの人と関わればなおさら。

面と向かって素直にさらけ出せる人なんて、片手で数えてもお釣りが出るぐらいだ。

もしも、両手で数えても足りないぐらいそういう人が居るなら、一度考えてみよう。

本当に何も取り繕ってないか。

少し数が減るだろう。

何でも数字は多ければいいってことではない。

そういうことを言える人ってのは、意外と少ない人数の方がいい。

それを人は親友と言えるのかもしれない。

愛想笑いできるようになりたい。
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人はずっとは活動していられない。 

人は時には休まないといけない。

そうしないと体が動かないからだ。

人にも充電する時間が必要になる。

それは睡眠だけでは到底足りない時間で、時には睡眠とは違う充電をしないといけない。

それは何も体を休めるだけじゃない。

人が一人で散歩したい時、人が何か自然なものに触れたい時。

そういう時は人が少し充電期間に入る時。

人はそういうことをすると充電出来るらしい。

そういう機会を設けることは、自分の生活の質を上げる為にたまに必要なことである。

今のあなたは充電しなくても大丈夫ですか。

充電が切れているのにも関わらず、ひたすら動き続けていませんか。

誰かが止めてくれるわけじゃない。

自分で止まらないと、体が壊れる。

周りの人には気付けない状態に自分も気付けていないと故障する。

そうなる前に一度充電する機会を設けよう。

その機会の重要性が絶対に分かる。
一人になりたい時がある。

人は人と支えあって生きている。

それでも時よりたまに、一人で過ごしたい時がある。

一人の時間がない人は、徐々に疲れてくる。

みんなで楽しくワイワイすることが好きな人も。

たまには一人で落ち着く時間も必要だろう。

一人だと暇だという人も、暇だからこそ出来ることもあるだろう。

一人で暇な時ほど有意義に過ごせる時間もない。

誰に気を遣うわけでもなく、誰に行動を制御されるわけもなく。

みんなでいれば出来ることも沢山ある。

でも、一人だからこそ出来ることも沢山ある。

時たまには一人になることも悪くない。

世の中は集団で動くことを重視する。

一人でいるとのけ者にされる。

でも、集団だと見えてこないことがある。

それは一度一人にならないと分からない。

一人でいることを恐れちゃだめだ。

みんなといることがすべてじゃないだろう。

確かに人が多いと楽しいことも多い。

だからといって、一人の時間を作らないのは違う。

さて、今日は一人で何をしようか。
もしも~があったなら。

誰しも一度はもしも話を話したことがあるだろう。

ドラえもんの話はほとんどもしも話。

もしもボックスまであるぐらいだ。

もしもああなってたら、日頃からそういう願いでいっぱいの人もいるだろう。

もしもって思って、本当にその事柄が起きることなんてない。

人は希望を持つことをやめない。

どんなに醜い望みも、希望なんて言葉にすれば良く聞こえるだろう。

もしもなんて口にするだけ無駄なことなのかもしれない。

でも、どれだけ人が成長しようと、もしもの話はする。

してはいけないことではないんだから、勿論し続けるだろう。

人は望みを捨てては生きていけない。

捨てる必要もない。

人は起こりもしないことが好きだ。

でも、それを起こそうと人は頑張れる。

そしていつか、何年何十年何百年かけて、人はそれを起こす。

人の可能性は必ず常識を覆す。






人によって言っていることの意味合いが変わってくることがある。

先生が正論のように言う言葉は、子どもには何も分かってないように聞こえる。

子どもが大人に反発する時に言う言葉は、大人には屁理屈に聞こえる。

政治家が言う言葉は、国民にとっては嘘のように聞こえる。

言う人によって同じ言葉でも、捉え方の意味合いは変わってくる。

それこそ偏見なのかもしれないが、そう捉える人も少なくはないだろう。

人は偏見を必ず持っている。

若者はだらしない。

大人は嘘つき。

それはそうで、逆は逆に同じようなことを思っている。

そうでない人の方が多い中で、どうしてもそういう人は目につく。

その人が言う言葉は同じ言葉でも、人には響かない。

全く意味合いが変わってくる。

言葉の意味ってのは大事だけれど、それを言う人の人格、人徳が合ってこそあのかもしれない。

言葉は人を選ぶ。

人は言葉を選んでも、使い方によって意味合いが違うから大変だ。

意味合いがどっちに転ぶかは自分次第だ。


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